カッテレンできるかな

生活者、たった1人からはじめてみるおしどりマコちゃんのカッテレンの記録です。東三河の片隅からハミガキするように社会のことを考えて、半径5mを少しずつ変えてみたいと思います。

日本の報道関係者が一生背負っていく十字架【抜粋文字起こし】(約8分)

2019年6月21日(金曜日)14:00~@静岡市
プラムフィールドのお茶べりTeaTimeより抜粋【その2】


※下↓の見出しは、ペリスコープ動画の頭出し再生リンクです。

日本の報道関係者が一生背負っていく十字架 (約8分) 

あの-2011年、はい(←ケン) え-、 原発事故があって、うんうん(←ケン)まあ東日本大震災があってそして原発事故があって、うん(←ケン)テレビでは直ちには影響がありませんというニュースが、繰り返し繰り返し流れている時に、流れた(←ケン)レントゲン1回分の線量ですから問題がありませんというニュースが流れている時に、うん(←ケン)テレビに出ているミュージシャンとか俳優とかタレントとか、もちろん芸人も、原発事故の汚染を逃れるために、どんどん東京からあの脱出して避難していったんですね。そうそう(←ケン)
で-その-、テレビでは直ちに影響ありませんと言うニュースが流れているんですけど、テレビで仕事をしている人たちはどんどん東京からいなくなって言って、ねぇ(←ケン)あの-、ケンちゃん出してください。そうね-(←ケン・ケン移動)はい、違和感感じましたよね(←ケン)そう、2011年3月私たち、吉本の、劇場の-、うん(←ケン)春休み、春休みでしたからね、そうそうそうそうそう(←ケン)春休みお子様キャンペ-ンというのの看板キャラクターだったですね。はい(←ケン)
で-、2011年3月19日から31日まで、はい(←ケン)まこれ地震の前から決まっていてとても楽しみだったんですけど、3月11日に地震があって、そのあと19日からキャンペーンが始まる前にどんどん原発が爆発しました。で、あの-、一緒に出ている芸人の先輩たち、は、え-ご自分のお子さんとかご家族を西日本とか、海外に避難させていて、お父さんだけ東京に残って舞台に出てたんですね。そ(←ケン)で、楽屋では、原発事故の心配の話ばっかりしていて、もうあそこの事務所は事務所ごと沖縄に行ったよとか、事務所ごと、え-大阪に行ったよとか、ミュージシャンいっぱい所属しているあそこの事務所はもう東京に戻るつもりは止めて、東京の本籍地をこう京都に移しているよとか、うん(←ケン)そういう話をよく楽屋でしていたんですね。そうですね(←ケン)はい。で、そうこうしているうちに、その-、自主規制なんですけど、『舞台で原発と爆発という言葉は一切使うな!』という指示がでて、そう(←ケン)で、みんな楽屋で原発の不安の話しかしていないのに、人前に出て喋る時は原発と爆発という言葉を使うなって言うんだったら、うん(←ケン)これは-、ちょっとあのフェアじゃないよねっていう話をしたんですよね。はい(←ケン)で-、特に私たちおしどりはお子様キャンペーンの看板キャラクターだったので、うんうん(←ケン)あの私がアコーディオンを弾いて、ケンちゃんがハリガネを曲げるっていう、はい(←ケン)初めて聴いたらちょっと意味がわからない、っていうね、[会場笑い]こういうスタイルですね、ちょっとね(←ケン・宣材写真投影)はい、してるんですけど。はいはい(←ケン)で、あの-、一緒に出てる先輩たちは自分のお子さんを避難をさせていて、そして、私たちはおしどりのファンの子どもたちを劇場に集めないといけない。でも原発事故の不安は一切伝えてはいけない、となると、これはちょっと不公平だよね、と。はい(←ケン)本当は私たち何を考えていて、どう気をつけて、東京で生活しているのかっていうのを、あの目の前の、来てくださっているお客さんに伝えたいしっていう話をしていたんですよね。そうですよ(←ケン)で-、その舞台で、原発と爆発という言葉を一切使うなという指示が出た時に、うん(←ケン)意外と私、頓智が利くほうなので、はい(←ケン)舞台で、原発と爆発という言葉をしゃべるな!というなら、はい(←ケン)それならば紙に書いて配ってやりましょうと思ったんですよね。[会場笑い&パチ…パチ…パチ…拍手]はははは!なるほどね!(←ケン)それであの-、私たち、え-劇場に来た小学生以下のお子様に、プレゼントを渡す、舞台が終わった後に、プレゼントを渡す、っていう仕事だったので、一緒に来られているお父さんやお母さんに、『ちょっと私が調べたこと読んでみてください』っていうのを始めたんですよね。そうです(←ケン)それで誰かに何かを伝えるためは、ためには、自分がきちっと、一次情報を調べておかないといけないだろうとはい(←ケン)で-その-、テレビと新聞で、え-それだけじゃない情報はどこにあるんだろうと考えた時に、うん(←ケン)一次情報(目くばせ)ハイ(←ケン・PC操作・2011年当時の東電会見の様子)東京電力の記者会見じゃなかろうかと思って、東京電力の記者会見をまずインターネット中継をずっと見始めたんですよね-。そうです(←ケン)そう。
でも2011年3月4月とね、たくさんの方々から東京、沢山の方々が東京を脱出しているという話ね、はい(←ケン)私たちだけの勘違いじゃなくて、2013年ぐらいでしたかね?そうです、13年、ですね(←ケン)なんか東京でやってたおしどりのトークイベントに、来てくださったお客様が終わったあとね、はい(←ケン)名刺差し出しながら、『今日は、君たちおしどりに謝ろうと思って来ました』っていう方がいらっしゃったんですよね。うん(←ケン)それは、あの名刺みたら報道ステーションのディレクターって書いてるんですよ、テレビ朝日のね。うんそう(←ケン)で-初対面なのになんで謝ることがあるんですかと聞くと、はい(←ケン)あの-2011年の3月、どれだけたくさんの人が東京から原発事故の汚染を逃れて脱出していったか、報道ステーションとしてニュースにするために、映像を撮りに、新幹線の駅と空港に行ったっておっしゃるんですね。はい(←ケン)で-も-それはその-、え-お盆とか年末年始の“乗車率120%です”、とか、もうそんな映像と比べ物にならないくらい、血相を変えた人が、もうたくさん東京から逃れようと、事故の汚染から逃れようと、まあごった返していたと、で、『僕が知る限り、どのテレビ局のその映像ニュースとして流すために、新幹線と空港と撮りに行ったと思います。』と、『でも僕が知る限り、その映像を流したテレビ局は一つもありません。』と、で-『これは日本の報道関係者が、一生背負っていかないといけない十字架で、君たちが』…私たちおしどりですね、うん(←ケン)『おしどりが芸人でありながら苦労して取材を続けているのは、日本の報道が信じられなくなったらで、それは本当に申し訳無いと思っています。すみませんでした。(お辞儀)』ていう、初対面の謝罪だったんですよね。はい(←ケン)だけど、それを伺って、そうか!と、やっぱり私たちが取材を始めたきっかけ、あの-、品川のね(画面観る)あ変わってた、映像が、劇場が、東京の品川駅のすぐ前の品川プリンスホテルの中の、はい(←ケン・映像戻す)品川よしもとプリンスシアターという劇場だったので、毎日品川駅で、ものすごくたくさんの人たちが大量の荷物で、どんどん東京から避難していくのを見ながら劇場に出続けていて、っていう、まあ楽屋でもねそう言うどこの事務所かと、そういう話も毎日聞いていてっていう状況だったので、うん(←ケン)でもそれが全然表に出てこないというのは、私たちだけの周りの勘違いかな、と思ってたんですけど、最初はね(←ケン)でも一応、日本のテレビ局の人たちもニュースにするために、動画は撮りに行ってたんだなと、でも、それがなんらかの理由で、地上波にはテレビには流れなかったんだなっていうことが、はい(←ケン)その時一致できましたよね。そうですね(←ケン)で、そのあとあの報道ステーションのディレクターとすごく仲良くなって、連携して、色々な、情報を、あの-、あの連携して引き出してね、それで報道ステーションに流れたりとかしてたんですけど、もうそのディレクターの方は今はいらっしゃいませんね。そうなんですよね(←ケン)残念ながら。はい(←ケン)あの-、2014年に、うんうん(←ケン)え-自死されて、今はいらっしゃいません。いらっしゃらない、うん(←ケン)はい、で、[会場『…自死?』『…自死?』]はい、そうなんですよね(←ケン)自死、されたんです。で-、当時他殺じゃないかというようなお話もあったんですけど、他殺ではなくご自分が、うん(←ケン)あの-覚悟の上のね、はい(←ケン)自死でした。とても仲が良かったので、うん(←ケン)亡くなる前日まで会ってたので、ちょっとショックでしたけどね。そのあと(←ケン)本当に。だいぶかなりの期間調べましたね(←ケン)はい3ヶ月、ね…(←ケン)その方のことを。はい(←ケン)で-、そうですね、ちょっとなんか、あの-…自死って言ってしまったので、気にされた方がいらっしゃるので、少しだけ状況をお伝えすると、はい…はい(←ケン)自死されたその報道ステーションのディレクターは、あの-……、私前日も会って仲良くしゃべっていたので、なんで前日、翌日自死されるということを気づかなかったんだろうと思うとすごい悔しかったんですね。で、その、なのでその後3か月いろいろ調べて、ご遺族の方や、何を考えておられたか、なんで自死を選ばれたかっていうのを色々調べたんですけど、結局…、自死を考えておられたのはもう1年くらい前なので、覚悟の、上の、自死で、いろいろ別に取材とかの圧力とかと別の理由をお持ちだったんですけどね。はい(←ケン)で、自分は、もう自死するということを決めていたからこそ、圧力に負けずどんな取材も全力で、嫌がらせがあっても、続けるという形で動いてくださってたんです。そういうことが分かりましたよね。はい(←ケン)はい。
で-、え-、2011年、うん(←ケン)それで誰かに何かを伝えるためには、テレビと新聞のニュースを作る元を、自分で見て、それで自分で調べていこうと思ったですね。はい(←ケン)