カッテレンできるかな

生活者、たった1人からはじめてみるおしどりマコちゃんのカッテレンの記録です。東三河の片隅からハミガキするように社会のことを考えて、半径5mを少しずつ変えてみたいと思います。

「想像力」を高めて、「自分事」の範囲を広げる。

地元で映画「被ばく牛と生きる」上映会があり、参加してきました。

映像は3.11後の2011年の記録からスタートしていました。

  

政府は3月12日には福島原発から20km圏内を円形に「警戒区域」に指定して、人だけ、ペットも家畜も置いて強制非難させられました。

 

 当時、ペットをレスキューするための活動を知って寄付の形で応援した経験から、置き去りにされ野生化できなかった(繋がれたままの)動物の末路を知ってはいたけれど、畜舎で餓死している牛、豚の映像を観た時、私の心は混乱しました。

 

 

私は肉を食べます。

 

 

この肉を食べる人間であることが、畜産動物のいのちに対する「軽視」の原因にあるのかなと考えました。

ペットが取り残されてかわいそう、じゃあ牛や?豚は?鶏は?気の毒だけど仕方がない?2011年当時の私は、なんと、牛や豚や鶏の被災に気持ちを傾けることがなかった。

 

映像の牛の声に、怯えるように、懺悔というにはまだ早い、振り返っての「気がつき」が始まりました。

 

3.11以前と、以後では、ものの考え方や感受性も含めて大きく変化して、生まれ直してるような状態にある私ですが、知らず行っている「加害」はまだまだ山のようにありそうです。

 

畜産の「殺処分」のニュースを聴いて「もったいない」と思うのか、「まだ発症もしていないのに、あまりに酷い」と思うのか、心のスライダーは今どこにあるのか、“私”とはどういう人間なのか。

 

「気がつき」は映画の間ずっと、熾り続けました。

 

聴かれなければ、答えを探さない、自分のふわっとした部分に、保証もしなければ認めもしない政府の在り方に加担し、この農家さんたちの苦しみ、牛たちの大変さへ加害している原因があるんだと感じました。

 

『食べられる運命とはいえ、人間の役に立たなくなったという理由で、その命を奪うことにどうしても同意できなかった-』-映画のパンフレットP05より抜粋。

 

自分が農家さんだったらどうだっただろうか。

殺処分出来ただろうか、もし同意/立ち合いして、その後、畜産に戻れただろうか。同意できなかったとして、牛を飼い続け、怒り続けることは出来るだろうか。

畜産はめちゃくちゃ大変な事業だから、素人が簡単に想像するのは失礼千万だと思いながら、上映中ずっと「自分だったらどうだ」を考えていました。

 

答えはまだ出ません。

 

人は自分の身に降りかからないと、本当にはわからないし、行動できないのかもしれないけど、やっぱりそれでは遅すぎる。

 

突き詰めて考える作業は、根気がいるのだけど、最大限「想像力」を駆使して、自分ならばどうなのか、と、妄想でいいから「当事者としての自分を考える」こと。

 

ハミガキするように社会を考えることは、「今起こってること」を鈍麻せずに「自分事」にし続けることと同じだな。

 

色々知らなくて、感じれなくて本当に申し訳ありませんでした。

 

反省して、自覚して、気づいたところからコツコツ始める「普段」の「不断」の努力。